ミーハー主義。

エンタメ業界で働く私が、アイドル・テレビ番組・映画などについて書きます。

ライブアイドルの有名プロデューサー7人をまとめてみた【ブレイク間違いなし】

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(出典:プロデューサー巻き - Wikipedia

 

これだけアイドルが増えてきた中で、絶対に知っておきたいアイドルのプロデューサーをまとめてみました。

秋本康さんやつんくさんという殿堂入りした方もいますが、今回は次に来るであろうアイドル、もしくはライブアイドル中心にプロデュースしている方中心にまとめていきます。

アイドルプロデューサーの仕事とは

まず今回紹介するのはすべて総合プロデューサーです。彼らはアイドルグループの舵取りをする人であり、グループの核となるコンセプトから楽曲、ダンス、ライブ、演出、衣装、宣伝、対外交渉、予算管理、すべてを担う人を指します。

基本は何でも屋、ということですね。それでは、一人ずつ紹介していきます。 

福嶋 麻衣子

 

通称、もふくちゃん。1983年8月10日生まれ。

でんぱ組.incのプロデューサーで、秋葉原ディアステージを運営されている方です。他にも、虹のコンキスタドールやわーすた(クリエイティブ担当)などの運営にも携わっています。 

東京藝術大学音楽学部卒業後、現代美術ギャラリー、ファッション雑誌の編集を経て、かねてから興味のあった秋葉原のオタク文化を取り入れたライブ&バー「秋葉原ディアステージ」を開店。そこで働いていた古川未鈴よりアイドルユニットを作りたいといわれでんぱ組を作りました。女性のアイドルPはかなりめずらしく、自身が好きなアニソンやボカロ、メイド喫茶の要素を取り入れたでんぱ組は高い人気を獲得することとなりました。

 

 古谷完

1973年12月13日生まれ。日本ツインテール協会会長、まねきケチャやdropのプロデューサーです。

2003年に自身のファッションブランド「glamb」を立ち上げた傍ら、2006年には写真家として活動。そのほか、カフェ≪omni-cafe≫(2002年~2007年)やキャンドルブランド≪Tovilla≫(2009~)などの運営を行った後、2012年に「ツインテールで日本の女性をもっと美しく、もっと元気に、もっと楽しく。」をコンセプトとした日本ツインテール協会を設立しました。まねきケチャのTシャツがおしゃれな点なども、Pにアパレルの経歴があったからなのか、とわかりますね。 

  

 桂田誠

1978年7月12日生まれ。Arc Jewel代表。愛乙女☆DOLL、Ange☆Reve、Luce Twinkle Wink☆、じぇるの!、Chu☆Oh!Dolly。Stella☆Beatsなどのプロデューサーです。

2006年にアクアルナ・エンターテインメント社を立ち上げ、上記の「秋葉原ディアステージ」など他のアイドルレーベルのイベント開催やCDリリースアドバイザー・プロモーション業務を行っていました。そして、2011年4月自社のアイドルレーベル「Arc Jewel」を立ち上げることになります。アイドルを長年見ていたPだけあって、AJ系はSNSの使い方などがうまく完成度が高いです。

  

 永田寛哲

1979年1月25日生まれ。

株式会社ユービック代表取締役、ピクシブ取締役会長。虹のコンキスタドールのプロデューサーです。

開成高校を卒業後、東京医科歯科大学に入学するも卒業後は歯科医にならず、在学中に始めたフリーの編集者、ライター活動、および株式会社ユービックとしての活動を開始。2014年に上記の福嶋麻衣子とともに虹のコンキスタドールをピクシブにてスタートしました。 

モー娘。の有名なオタクだったという永田さん。異色の経歴ですが、好きになったもの・夢中になったものに恩返しをしたいという情熱はすごいです。

川邊健太郎×永田寛哲 僕の人生を変えたアイドルが教えてくれたこと (1/4) | 夢中の深層 タイズプレゼンテーション

 

田家大知

 1974年生まれ。ゆるめるモ!のプロデューサーです。

フリーライターであった彼は、東日本大震災の際に「ピンキージョーンズ」を聞いて衝撃を受け、アイドルを立ち上げることを決めました。

彼は芸能関係のノウハウや経験、人脈があったわけではなかったので、メンバー集めも街頭でスカウトすることから始め、楽曲や衣装づくり、歌割などなんでもゼロから立ち上げていきました。街角でのスカウトは2~3週間で最初のメンバーが集まったらしく、彼の行動力には惹かれますね。なお、ゆるめるモ!立ち上げから最近までのプロデュース活動の様子が本にまとまっていますので、こちらもご覧ください。 

www.amazon.co.jp

 

 

 田中紘治

1977年生まれ。

株式会社AqbiRec代表取締役で、BELLRING少女ハート(現・There There Theres)やMIGMA SHELTERなどのディレクターを務めています。このグループではプロデューサーではなくより現場に近いディレクターという表現を使います。

彼は映像クリエイターで、テレビ番組やBiS「nerve」などのMV制作をしていましたが、ももクロのライブを見て衝撃を受けアイドルに興味を持ち出し、2011年にBELLRING少女ハートを立ち上げました。ベルハーはサイケデリックなぶち上げ曲がほとんどですが、作曲は田中さんの鼻歌を歌いそれをアレンジャーの宇田隆志さんなどによってリミックスすることで完成します。下記のブログでもあるように、田中さんは演出家であり、楽曲、振付、舞台装置などもすべて管理しています。

 

tagkaz.hatenablog.com 

最近では、ベルハーだけでなく、ヤなことそっとミュートの運営であるタニヤマヒロアキと立ち上げたMIGMA SHELTERも踊り狂えるアイドルということで人気が上がっているグループです。

 

 

 キムヤスヒロ

 

 1988年(?)生まれ。ヒップホップアイドルのlyrical schoolのプロデューサーを務めています。

武蔵野美術大学映像学科の出身で、在学中から「国際青少年映像キャンプ」や「映画甲子園」などで素晴らしい結果を残してきました。同大学四年生の時に「NEWTRAL」というフリーマガジンのアイドルプロデュース企画で、現在のlyrical schoolにつながるTENGAL6が立ち上がりました。2012年にレーベル移籍を機に、現在の名称に改名します。 

サウンドメーカーのtofubeatsとコラボしたり、スマホ向けのMV『RUN and RUN』がかなりばずったりなど、アイドルでも希少な地位を築いています。

 

 

まとめ

どの方も、自身が影響を受けたものを持ってアイドルのコンセプトに昇華し作り上げていることがわかりました。

クリエイター出身の方から、ビジネス出身の方、芸能関連の方、はたまた素人の方など、幅広い経歴の人が現在アイドルをプロデュースしているのですね。

彼らがプロデュースするアイドルのさらなる活躍を期待したいものですね。